ジャービス島におけるハム無線の運用

第二次世界大戦後のジャービス島へのDXペディションは、わずか2回しか行われていません。


1983年11月にAD1S/KH5が16,800QSOを達成

1990年4月、AH3C/KH5Jが55,000QSOを達成

このQSLカードには、WB2DNDのソフトウェアが使われています。かつてWB2DNDのコールサインでジャービス島から運用していたN1DGは、いつか自らも島を訪れてDXペディションを行うことを心待ちにしています。

2021年、Dateline DX Associationが再びジャービス島へのDXペディションを計画した際、過去の適合性判断が期限切れであることが判明しました。そのため、米魚類野生生物局(USFWS)は、アマチュア無線活動がジャービス島野生生物保護区(NWR)の保護任務と両立するかどうかを再調査する必要がありました。幸いにも、2年の歳月を経て、アマチュア無線活動がジャービス島NWRの保護任務と両立することが確認されました。その後、DXペディションの内容や保護区への影響を最小限に抑える方法について、数ヶ月にわたる交渉を重ねた結果、特別使用許可の発行が決定されました。ジャービス島DXペディションの実現には、RIBコンセプトの採用と、3名の科学者を同伴することでUSFWSによる島内調査を可能にするという合意が鍵となりました。今回のジャービス島DXペディションの実現にあたり、パシフィックリモート海洋国立モニュメントの管理者の方々に深く感謝申し上げます。

ジャービス島

ジャービス島(旧称:バンカー島、バンカーズ浅瀬)は、南太平洋に位置するアメリカ合衆国の無人島です。ハワイとクック諸島のほぼ中間地点にあり、ライン諸島に属します。面積は約4.5平方キロメートルで、周囲はサンゴ礁に囲まれています。

ジャービス島は、ライン諸島の中央部に位置するアメリカの無人島です。統計上は、アメリカ合衆国領外諸島にも分類されています。面積約4.5平方キロメートルのジャービス島は、アメリカの赤道地域に位置する3つの領土(ベーカー島、ハウランド島)の中で最大規模を誇ります。

ジャービス島は、2013年にアメリカとキリバスの間で締結された条約により、北部に位置するパルメラ島とは別の島群に属し、領土も分断されています。

ジャービス島は、1821年にイギリス船エリザ・フランシス号のブラウン船長によって発見されました。1857年には、アメリカ合衆国ニューヨークのアメリカグアノ会社を代表して、アルフレッド・G・ベンソン氏とチャールズ・H・ジャッド氏が正式に島を領有しました。しかし、同年末にはアメリカ海軍艦セント・メアリー号のチャールズ・ヘンリー・デイヴィス司令官が島を調査し、アメリカ合衆国の領土として正式に領有を宣言しました。この後、1800年代後半にかけて島ではグアノの採掘が行われました。1856年のグアノ島法により、ジャービス島はアメリカの領有地となりました。採掘により大量のグアノが持ち出された後、1879年には島は放棄されました。

アメリカ合衆国商務省は、1935年に「アメリカ赤道諸島植民計画」を立案しました。この計画は、太平洋中央部の無人島であるハウランド島、ベーカー島、ジャービス島にアメリカ市民を入植させるものでした。目的は、オーストラリアとカリフォルニア間の航空路における軍事や民間利用のための気象観測所と飛行場の建設でした。さらに、アメリカ政府は、東太平洋地域における日本の領土拡大を牽制するためにも、これらの遠隔地にある島々を領有することを望んでいました。

Jarvis Island Camp
Government House on Jarvis Island mid 1930s
Balloon Run at Jarvis Island late 1930s
4 settlers waving goodbye to supply ship in 1936
Pic Jarvis day beacon Memorial
Jarvis from a 1942 Map

ジャービス島と第二次世界大戦前の植民計画について、より詳しく知りたい場合は、以下の資料をご参照ください。

https://www.jarvisisland.info/panalaau_memoirs

7年間におよぶ植民計画期間中、入植者たちは短波無線(ハムラジオ)を通じて家族と連絡を取っていました。以下、ジャービス島から送られたQSLカード(交信確認カード)の例を紹介します。

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